海のハンター 駆逐艦
2015 MAY 24 14:14:12 pm by 西 牟呂雄
駆逐艦、英語ではデストロイヤーと言う。ガンガン大砲を撃ち合う洋上艦隊決戦では脇役だが、初めに突っ込んで魚雷攻撃をしたり、敵潜水艦を燻り出す爆雷投下を主に受け持つ『海のハンター』である。
現在はミサイル技術の発達により洋上での一発必中の雷撃主体は潜水艦に移り『水雷』搭載としての駆逐艦は存在しない。
上の写真は駆逐艦雪風である。
雪風はそのほとんどの戦力を失った帝国海軍にあって、先の大戦の最初から最後まで戦い抜いて沈まなかった駆逐艦として名高い。阿川弘之氏や半藤一利氏の著作でしばしば紹介されたのでご存知の向きも多いだろう。大和の沖縄水上特攻に僚艦として出撃し勇戦、撃沈した大和の多くの将兵を救った。
呉の雪風、佐世保の時雨と言われた歴戦の駆逐艦だった(時雨は終戦間際に沈没)。運が良かったと言えばそれまでだが、生還した多くの人の証言によると士気の旺盛さ、各員の責任感、そして抜群のチームワークで幾多の海戦を生き抜いた。
駆逐艦乗りは巨大戦艦や空母のような華ではないが、闘志溢れる船乗り根性の塊としてプロ中のプロと言えよう。但し艦長にトップ・クラスはあまり乗らない。トップとはハンモック・ナンバーの上位のことで海軍兵学校の卒業時の成績抜群エリートを指す。そのレヴェルは軍令部やそれこそ大和といった花形艦に乗る。駆逐艦は高速でもあるので、機動部隊の盾になったり輸送護衛をさせられたりもする割に合わない存在でもあった。しかし世界一の射程距離のロング・ランス(長槍)九三式魚雷、通称酸素魚雷を装備して意気軒昂たるものがあったそうである。
この酸素魚雷は航跡が見えずに直進性に優れ、しばしば大戦果を上げている。技術交流でドイツに紹介されたがUボートには実践配備できなかった日本オリジナルの技術の粋だった。
ガダルカナル島ルンガ岬の沖にてルンガ沖夜戦があった。このときは孤立したガダルカナルに輸送物資を届ける任務を負っていた8隻の駆逐艦がアメリカ艦隊と一戦交えた。
食料を半分入れたドラム缶を投入するところを発見された田中少将は麾下部隊に対し「揚陸止め!全軍突撃せよ」との命令を下す。最前線にいた『高波』は短時間に50発以上被弾・炎上したが、後続の駆逐艦隊の果敢な雷撃により米巡洋艦部隊は壊滅的な打撃を受けた。アメリカ海軍の将校が「癪に障るほど優秀な連中だった。」と述懐したと言われている。
しかしながら帝国海軍最後の勝利のこの海戦も、海軍上層部の評価は低かった。作戦の主目的である食糧輸送に関しては実績が挙がらなかった事と田中少将の戦線離脱が早過ぎたという理由による。
戦後、半藤一利氏のインタヴューを受けた田中少将は『ワシは、全軍突撃せよ、と言っただけだよ。』と答えているが、本当だろう。ドラム缶を積む為に魚雷の搭載数が少なかったとは言え、確かに戦闘開始後の旗艦『長波』の離脱は早かった。
現在ではかつての駆逐艦の役割は高度に電子化されたイージス艦へと変わったが、船乗り魂はすこぶる健在と聞いている。海上自衛隊の特徴を現す四文字熟語は『伝統墨守、唯我独尊』だそうだ。
ところで言うまでも無く戦争は良くない 集団的自衛権は賛成だが。
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西室 建
8/20/2015 | Permalink
戦後70年ということで、あちこちでインタヴューが報道される中、上記『雪風』の乗組員だった水田政雄さん(93)=神戸=の話を時事通信が配信している。
『今思い返しても、雪風は全体が一つの家のようだった。所属した第16、17駆逐隊いずれも、雪風だけが生き残った。飛行機や沈没した艦から、人もたくさん助けた。そのおかげで、こうして生き永らえたんだなと思うときもある。』
とある。
西 牟呂雄
8/21/2025 | Permalink
〝雪風”ファンとしてはどうしても見逃せなかった映画『雪風』を見た。
なかなか力の入った脚本であり、力作だったと思う。
だがそれが故にチョット言いたいこともある。
予算が制約されたので仕方がないのだが、セットがチャチ。特に海軍軍令部や大和のブリッジにはもう少し金をかけて欲しかった。
更に主人公の一人である先任伍長の戦死のシーンや大和の反転のところは、画面全体に慌ただしさがない。
もう一つ、先任伍長の故郷の妹さんのカットがしばしば入るのも無駄だ。エンデイングの万博の絵もいらない、「日本を任せたぞ」のところも不必要じゃないかな。
要するに若い監督のキャラが優しいのだろう、テーマの重さのヒリヒリした感じが薄くなってしまった。
まっワタシが言うのも何だが戦後80年も経ったので、全て想像して撮ったのがわかる。
ただ艦長役の竹野内豊、この人軍人をやらせると似合いますな。以前も『太平洋の奇跡』でこの時は陸軍大尉だったがハマってました。
西 牟呂雄
8/27/2025 | Permalink
この雪風の艦長経験者の座談会を半藤一利さんが企画したことがあった。その一部を載せてみます。
寺内「ふだんの出入港のときが大事なんだな。どこの港へ入ろうと、ぐるっと回れ右をして後進に入ってキュッといくでしょう。それが、隣の艦がまだもたもたして、岸から引っ張ったりしている。こっちはすぐつないで『解散ッ、上陸用意ッ』とやる。兵隊さんの意気込みがちがいますよ」
(中略)
飛田「『機械よろし、舵よろし』と艦長がいうのを底の方の機関科の連中は待っておるのだからね。それには、しかし、操艦によっぽど自信がなくちゃ」
このはなしは『戦闘』とか『救助』の話はないが、入出港の操艦は本当に腕が試されるときで、また船ごとに独特のクセがあって経験が如実に出る。筆者は今でも入港時の操艦が下手で、アイツがラットを持っている時は危ないと笑われている。
歴代艦長はいわゆる『菊』の御紋章がついている戦艦や重巡には縁のない生粋の船乗りなので貴重な話である。
太平洋戦争 日本軍艦戦記に載っているそうだが読めていない。どなたかお持ちだったらお知らせください。